先日、スーパーで買ってきたえびせんをカップ麺の汁に浸して食べながら、えびせんの食べ方について考えた。
えびせん原理主義者*(そんな人がいるかはわからないけれど)は厳格にえびせんそのものの味と食感を楽しむことを信条としており、手焼きのえびせんこそが正統のえびせんであると考える彼らは、きっと大判えびせんが大きいからといって半分に折ったりすることも許してくれまい。
彼らからすれば、えびせんを何かに浸したり、何かを挟んだり、何かをつけて食べたりなどということはえびせんへの冒涜ととらえられるだろう。しかし私はえびせん自由主義者なので(大きい一枚えびせんを大胆にバリバリと食べるのも美味しいけれど)、えびせんに卵焼きを挟んだ「たません」を食べたり、えびせんにお好み焼きソースやマヨネーズを塗って食べたり、一枚は大きいなと思ったら大判のえびせんを半分に折ったりして食べる。
(*原理主義:一般に、特定の理念や原則を貫こうとする傾向。『広辞苑』)
wikipediaによると愛知県西尾市で全国の生産量のうち95%が占められているえびせんは、かりんとうやこんにゃくと違いその歴史がいろいろな資料で残っている。
例えば、日本で今のデンプン粉にエビの原料を混ぜて作るタイプのえびせん作りが始まったのは愛知県西尾市一色町で、創始発案者は一色町の安休寺の門前に住み、ちくわやかまぼこなどの練り物を生業といていた、かまぼこ文吉という男性だそう。
当時からえびせん自体は存在していたが、それは日本で獲れた小エビを乾燥させて中国へ輸出し、中国でえびせん に加工してそれを日本に戻すという形で流通していた。
輸入えびせんは高級品であったため一般庶民が口にできるものではなく、これを見たかまぼこ文吉が小エビ(地元の三河湾で毎日よく獲れた)を生のまま練り上げて、また当時中国で作られるえびせんはとうもろこし粉とエビを練って作っていたが、これをデンプンに切り替えて、よりエビ本来の旨味を引き出したせんべいに仕上げたという。
まさしくえびせん業界のエジソンのような人物だった。
現在一色町で作られるえびせんは近海で獲れたエビと輸入したエビ、北海道産の厳選したジャガイモを使用して作られ、機械の導入により安価で品質の高いえびせんが幅広く提供されている。
と、日本のえびせんづくりは明治時代中頃から始まっており歴史が浅いので、このような資料が(民話や資料という形で)残っている。
しかしこれが海外に目を向けると事情は違ってくる。
例えばベトナム食材店で見つけたえびせんは、見た目はカピカピに乾燥した餅のようだけれど、油であげたりレンジでチンしたりお湯でふやかすと膨らんで食べれるようになるというタイプのえびせんで、これがいざレンジで温めて食べてみるとエビの香りが強烈に香ってきてとても美味しい。
以前横浜の中華街にある中華食材のお店で見かけた赤いえびせんもこのタイプだろうと思われる。どうやらえびせんはアジア圏で広く食べられているお菓子だろうということは察しがつくが、そのアジアでの起源はよくわからない。
それにしても気になるのは、えびせんをお湯でふやかすという調理法。
買ってきたえびせんの箱には英語で、「100gのえびせんを3〜5分茹でる。400mlの熱いスープを用意し、器にえびせん、肉、エビ、いか、エシャロット、もやし、豚の血の豆腐(⁉)、お好みのスパイスとともに入れる」と書かれている。(豚の血の豆腐についてはスルーします)
スープを作るのが面倒だったので、釜揚げうどん風にすることにした。
それにしてもえびせんの入ったスープの付け合わせにエビとは、ハンバーグの付け合わせがステーキみたいな話だな。などと考えながら鍋にお湯を沸かしてえびせんを投入すると、予想に反して何の変化も起きない。
湯に入れた瞬間ムクムクと膨らむものだと思っていたのに、形状に変化が無いまま3分経った。湯気のように立ち上る「失敗」の2文字を振り払うように箸で鍋の中のチップスをかき混ぜていたら5分経ってしまった。試しに1つ食べてみたところ、表面の0.01ミリくらいが柔らかくなっているにすぎない。
そもそもこちらは正解の完成イメージすら持ち合わせていないけれど、それでもこれは明らかにまだまだ茹で足りないとわかったので、説明書きを無視してさらに5分茹で時間を延長することにした。
結局トータル10分茹でたところで、乾燥しきった餅のようだったえびせんがクタクタのテロンテロンになったので1つ食べてみると、ぐにぐにとした食感が非常に不快だったけれど、それでも噛みきれないことはないので(そもそもなにが正解かもわからないけれど)完成とした。
なんとも言えないぐにぐにとした食感とエビの香りがほんのり感じられるえびせん(えび麺?)をニョクマム(ベトナムの魚醤)を加えためんつゆにつけて食べる。はて、この食感は、この前食べたカップラーメンの汁に浸したえびせんの食感に似ているなと思った。
もしかしたら世界的に見れば、えびせん原理主義者よりえびせん自由主義者の方が多いのかもしれない。
参考文献
『ものと人間の文化史54 海老』酒向昇 法政大学出版局
『あいちの地場産業』岡崎信用金庫
『一色の民話』一色の民話研究会 一色町・一色町教育委員会