美食の大家である北大路魯山人氏は自身の「美味い豆腐の話」の中で、「美味い豆腐はどこで求めたらいいか?ズバリ京都である」と断言し、その理由にとして「京都は古来水明で名高いところだけに、良水が豊富なため、いい豆腐ができる」としているが、「日本では豆腐には水のきれいさだけを求め、生でうまければよし、とするような傾向がある」と、アジア全体における豆腐の食文化について調査を行った福田浩氏は自著に書いている。
というわけで、おいしいものに目がない私はほいほいと京都へ行って豆腐を堪能してみました。
確かに京都の某有名豆腐店で買った豆腐は(たとえホテルで食べようとしたせいでぴっちりと閉められたパックを開けるのにどえらい苦労したにしても)これまで食べた中でも抜群に美味しかった。
豆腐はそのシンプルさゆえに、本当に美味しい豆腐の食べ方は醤油だ、いやツウは塩だけをつけて食べるんだなどと極限のシンプルさを競うこともできるし、揚げたり焼いたり煮たりゆでたりと、バッハも驚くばかりの変奏曲を奏でることもできる。ちなみに京都の錦市場では冷奴、湯豆腐それぞれ専用の醤油も売られている(ちなみにちなみに中国では生の豆腐は醤油ではなく塩で食すのが正道であるらしい)。
豆腐の起源については、現在では9世紀から10世紀に中国で発明されたものと考えられており、日本では12世紀、奈良春日大社の供物帖に書かれた「唐符」の文字が一番古い記述となる。(春日大社はかりんとうを調べた時にも出てきたけれど、はたして食べ物にいろいろ言われのある神社なのか、ものすごく気になるところですが今回は脱線しないでおきます)
ちなみに確認はされていないけれど、中国にて豆腐発明の主と言われる人物は劉邦の孫、淮南王劉安とも言われており(もちろん諸説あり)、「10世紀に李時珍という人物が編んだ『本草綱目』に「豆腐の法は、漢の淮南王の劉安より始まる」との記述があり、彼が豆腐の祖というのは一つの定説となっている」。
そんな豆腐は作り方も至ってシンプル。
大豆を水に浸してすり潰し(これを生呉という)、それを煮て豆乳とおからに分け、豆乳を沸騰させたのち冷ましながらニガリを加えて固めたものが豆腐。ニガリは豆腐のタンパク質を凝固させる作用を持つけれど、同じような作用が得られる石膏や酢でもできるそう(味わいが違ってくるらしい)。ちなみに沖縄で作られるシマ豆腐は、海水をそのまま凝固剤に使うこともある。
ちなみに豆乳を沸騰させた時に表面に現れるのが湯葉。豆腐は凝固剤によって大豆に含まれるたんぱく質を固めたものだけれど、湯葉はそのたんぱく質が熱によって固まってしまったものなんですね。
そして最後に豆腐を作った後に残るのが、おから。
今回書きながら久しぶりにおからも食べておこうと思い立ち、スーパーでおからを買ってきて食べてみた。
近所のスーパーに売っていた「天然だし使用五目卯の花中」198円。
何十年かぶりに食べてみると、昔食べていた時に感じていたことが思い出されて、例えばポロポロしていて箸で食べにくいなぁとか、意外とすぐお腹いっぱいになるなぁとか、口に繊維質が残るんだよなぁとか。
逆に昔は意識していなかったけれど、意外とえぐみがあるなぁなど、新たに気がつくこともあった。
こんなに食べるのが久しぶりになってしまったのにはいくつか理由があるけれど、やはり最初に思いつくのは、その調理のしにくさだろうか。
今でこそ、その気になって調べれば、おからを使ったレシピもネットに大量に挙げられているけれど、普通に生活している人でそんなにスーパーフードや健康食、ダイエットに興味のない人間からしてみれば、おからは田舎の祖父母の家で食べるおばんざいの代表のようなものじゃなかろうか。
出来合いのお惣菜を買ってくるならまだ手間はないが、それだと味付けが少しくどかったり甘かったりする。
かと言って、おからだけを出汁やらひじきやらにんじんなんかと混ぜ炒めて作れば自分好みの味付けにはなるけれど、そんな苦労をして食べたいかと言われるとなんとなく億劫だ。 おからって私にとってはそんな感じの食べ物。
おからはその名前がすでに表しているように、「豆腐を作る過程で取り除かれる大豆の搾りかす」と思われてしまっているところがある。というかそれしかない。
例えていえば、子供の頃から勉強もできてスポーツ万能、芸術方面でも非凡な才能を見せ性格もいい豆腐の前に、ある日突然なんの前触れもなく現れた冴えない風貌の男、おから。と思ったら実は生き別れた兄だったのである。みたいな感じだろうか。
と、ここまでいいところがあんまりないおからですが、ところがどっこいおからの栄養素は実は豆腐とほぼ変わらないのです。さらに乾燥させたおからは豆腐よりも食物繊維が豊富になるので、実は栄養素的にはとても優れている。冴えない風貌でもなんかすごい頭いい感じでイケメン。話を聞いてみるとやり手の弁護士になっていた、おから(職業を弁護士にした理由は特にありません)。
「ちょっとイメージが湧きづらい。なんで豆乳を絞ってるのにそんなに栄養素が残ってるの?そんなわけないじゃん。」
という声が聞こえてくる気がしないでもないですが、それこそ認知のバイアスというもの。
なんとなくお茶や鰹節のように、お湯に浸けたものはその栄養素を抜き取られてしまってるように感じてしまうものなのですな。(厳密にいえば同じ重量の豆腐とおからの栄養量を比べた場合の話なので、実は栄養はおからにぜーんぶ残ってて豆乳には栄養素が何にも入ってませんでしたーというわけではありません)
それにしてもおから。かつては家畜の豚の飼料に、今では産業廃棄物にされてしまう可哀想なやつですが、最近はその栄養豊富なところが見直され、「おからを使った簡単ヘルシーダイエット!」のようなレシピ本も多く出版されている。試しに近所の図書館で探してみたら、オートミールと並んで大人気ダイエット食材のようで、レシピ本は全部借りられてしまっていました。
ちなみに豚におからを食べさせるのは、おからを食べさせると豚の肉質が良くなるかららしいけれど、以前何かの本で、イギリスでは馬の飼料にするオートミールを食べていることを馬鹿にされたスコットランド人は、「だからイギリスは馬で名を立て、スコットランドは人で名を立てる」と言い返した、と読んだことがある。
調べてみると馬の腸は全長が長く、さらに腸内に不溶性食物繊維をエネルギーに変えてくれる微生物を飼っているからオートミール(大麦)も美味しく食べられるらしいけれど、人間はそこまで腸が長いわけでもないしそれを分解してくれる微生物も飼っていない。だからオートミールが合わない体質の人もいるらしい(私みたいな)。
むしろ腸に関していえば豚の方が人間に近い消化器官を持っているので、実はオートミールよりおからの方が人間の体質に合っているのでは?と私は最近個人的ににらんでいる。
沖縄の人は豚を鳴き声以外全部食べると言うけれど、私たちはそれ以上に大豆を何も残さずに食べてしまう。また豆腐を食べる文化圏はとても広くアジア一帯、だいたい、もち米を食べる文化のある範囲と重なっているらしい。
そういえば以前台湾で食べた「豆花」。最近では日本でも食べられるようになってきたけれど、日本で食べるそれは台湾で食べるのとはちょっと味が違うような気がする。
その違いは、恐れ多くも魯山人大先生の言葉を借りれば、「豆腐はズバリ滋味である!」と言えるのではないだろうか。
インパクトのある美味しさは分かりやすくていい。食べた瞬間に口いっぱいに広がるビューティフルなハッピー。そんな私たちのドーパミン漬けの脳みそを絶対に裏切らない、味蕾をダイレクトに刺激する食事も確かにいいけれど、その一方で、食べ始めには物足りなさを感じていたのに食べれば食べるほど、噛みしめるほどにじわじわと現れてきて、深く口の中に、体の中にじわーっと染み入ってくるような美味しさというものもある。そういう滋味に触れている時は、たいてい気づいたらいつの間にか全部食べ終わっていたということになりやすい。
それがたしかに、台湾の豆花や京都の豆腐にはあった気がする。
参考
『豆腐百珍』 何必醇原著 福田浩訳 教育社
『豆腐百珍』 福田浩 杉本伸子 松藤庄平 新潮社
『大豆の機能と科学』 小野伴忠 下山田真 村本光二 朝倉書店
『沖縄シマ豆腐物語』 林真司 潮出版
『豆腐入門』 青山隆 日本食糧新聞社
『ブタの科学』 鈴木啓一 朝倉書店
『ウマの科学』 近藤誠司 朝倉書店
『もっと!愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』
ダニエル・Z・リーバーマン マイケル・E・ロング インターシフト
『魯山人の美食手帖』 北大路魯山人 角川春樹事務所