山泉煎茶有懐

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中唐の時代の詩人、白居易はお茶についてこんな詩を残している。

営閑事

自笑営閑事 従朝到日斜 澆畦引泉脈 掃徑避蘭芽 暖變墻衣色 晴催木筆花 桃根知酒渇 晩送一甌茶

(雑事を営む 

毎日雑事で忙しい自分を自分で笑い、それは朝から晩までずっと続く。泉の水を引いて菜園にやり、蘭の芽に気をつけながら小道を掃除する。気温が暖かく、土壁の色が変わり、晴れている天気は木筆の花を咲かせる。侍女は酒の後、喉が渇くことを知り、夜、一杯の茶を持ってきてくれる。)

今すぐにでもお茶を飲みたくなってしまうような見事な詩である。

お茶は世界中誰もが日常的に飲んでいるありふれた飲み物なだけあって、緑茶に絞っても資料が豊富にありすぎてとても全てを読む気にならない。

そんな資料の海の中にあって、最近読んだ『紅茶スパイ』という本は、イギリス人プラントハンターが中国から茶の木を盗むという歴史ノンフィクションである。お茶の歴史(主に紅茶)がわかりやすくコンパクトにまとめられていて面白かった。

以前シンガポールのホーカー(大衆食堂)にて、早朝に一人で茶藝を楽しむおじさんを見かけたことがある。静かでぬるい朝の空気の中、茶藝道具一式がちょこんと入ったプラスチックの洗面器を抱えてやってきたおじさんは、席に着くなりチャカチャカと小ぶりなティーポッドと湯呑みを洗面器の中で洗ったり温めたりしながら慣れた手つきで茶を淹れて飲んでいた。その姿が、朝の過ごし方としてなんとなくすごくいいなと思ったのを覚えている。

だからそれもあって、最近知り合った方が雑談の中で、「私は毎朝2杯、自分でお茶を点てて飲んでいます。一杯は床の間の掛け軸にお供えし、一杯は自分でいただく。形式に囚われず自由にお茶を点てて、そうすると、朝から心が落ち着いてすっと整うんですよ」とおっしゃっていたので、それはいいなと思いネット通販で茶筅や茶杓を揃え、茶碗は地元の陶器販売店で1500円くらいのものを買い(地元の焼物がちょっと有名)、抹茶は静岡で買った1000円くらいのもので、ここ数日、毎朝シャカシャカとお茶を点てるようになった。もちろん無手勝流なので、その道の方にすれば卒倒しそうなやり方だろうと思うけれど、なんとなく自分に「それでいいのだ」と声をかけている。

「茶の繊細な味わいを鑑賞する最善の方法は「静かに味わう」ことであり、それ以上に洗練された方法はない」と『紅茶スパイ』に書かれている通り、日常当たり前にある茶を改めて知るには、それと向き合う時間を作らなければならないし、それは同時に自分と向き合う時間にもなる。

ふと、お茶屋さんたちは日頃どのようにお茶を飲んでいるかが気になった。静岡の茶町界隈を歩いていると製茶業者が多くあるが、中を覗くとどの事務所にもその一角に畳の敷かれたスペースが設けられている。あそこに座っていつもどんな話をお客としているのか、たまには一人でじっとお茶を飲んだりもするんだろうかなどと想像してしまう。餅は餅屋、茶はお茶屋と言うし、ジェラートやフラペチーノの原料にするのもいいけれど、お茶を静かに味わうことについて、日常の中にお茶を置くことについてどう思っているのか、いつかプロの方に話を伺ってみたいと思う。

参考文献

サラ・ローズ『紅茶スパイ』  原書房

ヴィクター・H・メア、アーリン・ホー『お茶の歴史』  河出書房新社

馮 艶「白居易の茶詩ー茶詩の新しい姿」 摂大人文科学(21)

茶を入れるためのお湯を炭火で沸かしている
ホーカーにいた犬